45言目:惜別 vol.3

vol.2 の続き

令和3年9月。
プロ志望届提出が解禁されると同時に、芦谷はプロ志望届を提出した。

九大から初のプロ志望届提出ということもあり、在福メディアにもこぞって取り上げていただいた。
数多くの取材を受けたが、芦谷はしっかりと自分の考えを話せるようになっていた。前年と比べて見違えるほど飛躍的な成長を遂げており、頼もしさを感じた。

そんななか開幕した最後の秋。

開幕戦となる福大戦で、2点ビハインドの8回に登板。140キロを超えるストレートとスライダーを武器に、打者3人を完璧に抑えた。上々のスタートを切ったといえるだろう。

しかし、チームは開幕から全く勝てない状況が続く。
リーグ戦の4週8試合が終わり、チームは0勝8敗。
芦谷自身は、いい時もあれば悪い時もあり。圧倒的な成績は残せていなかった。
この時点で、調査書はどの球団からも届いていない。
なかなか援護してくれない打線、エラーで逆に足を引っ張る野手。
いよいよドラフト直前最後の試合を迎えるのに、自分の気持ちを汲んだ起用をしてくれず、敗戦処理のような雑な扱いをする首脳陣。ドラフトに向けて、やれることを全てやり切ったとはとても言えなかったし、そのお膳立てを首脳陣はしてくれなかった。
焦りや苛立ち、憤りが入り混じった感情が芦谷のなかに沸き上がったまま、ついにドラフトの日を迎えた。

 

芦谷の名前が呼ばれることはなかった。

 

ドラフト直後のメディア取材に対し、芦谷は今の自分の心境を冷静に話し、周りへの感謝の気持ちを口にするなど、立派に振舞っていたと思う。

だがその後、芦谷は最終週2試合に向けての準備をやめた。
もちろんグラウンドには来ていたが、延々と外野を走っていた。
ちなみに、最終戦の先発を任せるという指示は事前に伝えていた。

私は特に何も言わなかった。

 

最終週2試合を翌日に控えた金曜日の練習終わり、ついに芦谷が私に声を掛けてきた。

最終戦には登板できない、今後は野球を続けない。

彼は私にそう告げた。

芦谷は、上に述べたような、ドラフト前に沸き上がった感情を全て吐き出した。
その後、こんなことを語り始めた。

今年がダメなら来年、社会人や独立リーグからプロを目指せばいい。
そんな気持ちでプロを目指していたのではない。九大から直接プロに行くことが重要だったのだ。

と彼は語った。

自分は、九大から社会人野球に進んだ先輩たちのことを知り、九大に入学した。
そして今度は、自分が九大からプロに行くことで、もっと多くの後輩達が「九大出身でも野球を続けたい」と思えるようになってほしい。
実力があっても、野球を続ける選択肢を選ぶ人が、九大はあまりにも少ない。
それは、野球を続ける道に進んでいる先輩が少ないからではないか。
九大がもっと高いレベルになるためには、もっと多くの選手が上のレベルを目指す環境が根付くことが必要である。
そのためには、自分が後輩達の道しるべになることが必要なのだ。

と。

首脳陣の立場として、
芦谷のドラフトのためにリーグ戦があるわけではないし、申し訳ないが芦谷がチーム内で絶対的エースの立場でもない。そんな状況で、起用法のことを言われても、それは言い訳に過ぎない。
本人には言わなかったが、そう思った。

ただ、ひとりの先輩としては、芦谷の心情は充分察した。
プロを目指すことは自分のためではなく後輩の、そしてチームためでもあるということを聞き、関心するとともに、芦谷の精神的な成長を嬉しく感じた。

であるとすれば、、、

自分でしっかり考えて、最終戦に登板しないこと、今後も野球を続けないと決めたのであれば、それでもいい。
ただ、後輩の目には「芦谷さんはドラフトで指名されなかったから、そのショックで最後の登板から逃げた」というイメージが、最後の最後で付いてしまうかもしれない。
せっかく今まで後輩の手本となるべく頑張ってきたのに、である。それはあまりに勿体ないのではないか。
「残念ながらドラフトで指名はされなかったけど、それでも芦谷さんは最後まで自分を貫いた。カッコ良かった。」
後輩にそう思われて大学野球を締めくくったほうが、芦谷のためにも後輩のためにもいいのではないか?
また、野球をやめるという感情は、たぶん今の一時的な感情だと自分は思っている。
恐らく、あなたは今後も野球を続けると思う。
だが、「大学野球」というステージは泣いても笑ってもあと1試合で終わる。
もちろん、登板しないで終えるという選択をしてもいい。ただ、投げて終わるのと、投げないで終わるのでは、次のステージへ向かうための気持ちの整理も大きく変わってくるのではないだろうか。
次のステージに気持ちよく進むためにも、最終戦は登板して終わって欲しいというのが自分の勝手な心情である。
いい球がいかなくてもいいし、打たれてもいい。カッコ悪いピッチングをしてもいい。
カッコ悪くても、最後まであがく姿を見せよう。その姿は決して後輩にカッコ悪く映ることはないだろう。
自分の気持ちに整理をつけるために、投げて終わろう。
今日、明日でもう少しだけ考えて欲しい。
考えた結果、当日になってやっぱり無理だと思ったならば、それはそれでも構わない。
とりあえず投げるつもりで最終戦の日を迎えよう。

そんなことを話したような気がする。

そして迎えた最終戦。
先発マウンドには芦谷の姿があった。

ドラフトが終わってからの間、走ってはいたものの、ピッチングは一切していなかった。
試合前のブルペンでは当然ながら、いつもの球威はなかった。

やっぱり全然球走りませんね。笑

ええがなええがな。いま投げられる球をしっかり投げればいいんよ。

ブルペンでは、そんな会話をした気がする。

芦谷の、そして4年生の大学野球最後の試合が始まった。
初回、四球で出したランナーが3塁まで進み、2死3塁から内野ゴロがエラーとなり生還を許す。
直後の2回には、先頭打者に特大のソロHRを浴びる。

序盤で2点を失うものの、その後は力の抜けた(正確には球が走っていない)ストレートがうまく相手打線にハマり、得点を許さない。

いつまでいける?まだいけるな?

守備が終わり芦谷がベンチに戻ってくるたび、そんなことばかり伝えていた。

2点ビハインドのまま、試合は進んでいく。

九大が得点できる兆しが見えず、芦谷もそろそろ相手打線につかまりかねない。7回までか。
そんななか迎えた6回裏。ついに九大打線が爆発する。これまでの鬱憤を晴らすかのように集中打を浴びせ、一挙3点を奪い逆転に成功。この土壇場で、芦谷に勝ち投手の権利が巡ってきた。

味方が逆転してくれたぞ、次の回までしっかり頑張れ。
そんなことを芦谷に声かけした気がする。

直後の7回表、四球と内野安打でランナーをためるものの、渾身のストレートで空振り三振を奪う。
芦谷が空振り三振を取れるのは、得意のスライダーがほとんどで、ストレートはなかなか空振りを奪えなかった。
空振りがとれるストレート。それが彼の課題であったのだが、大学野球最後の1球でようやく、ストレートで綺麗な空振り三振を奪うことができた。
ガッツポーズと万来の拍手で、芦谷の大学野球が終わった。

その後、緊迫の8.9回を同級生エースが見事無失点に抑え、試合はそのまま2-3で終了。
九大は、最終戦にしてようやく1勝を掴んだ。
芦谷の、そして4年生にとっての最後の試合が、勝利という形で何とか終わった。

たしかに、良い形で大学野球を終えろとは言ったが、ほぼ調整できていなかったにも関わらず、こんな出来過ぎた結果が待っているとは。
不覚にも感涙してしまった。自分の引退試合でも泣かなかったのに。

 

芦谷が人より抜きん出ている才能は、先述した2つ(知識欲、行動力)に加え、実はもうひとつあった。
それは、周りの人々が心動かされ、手を差し伸べてくれることである。

芦谷は決して、実力や実績が突出した存在だったとは言い難い。
しかしながら、メディアの方のみならず多くの方々が、芦谷に心を動かされ、手を差し伸べてくれた。これは芦谷のもつ才能、資質と言うしかない。芦谷の立派な強みのひとつである。

最終戦の後、進路の決まっていない芦谷に対し、社会人、独立リーグなど様々なチームの方が声を掛けていただいた。
彼は熟考の末、火の国サラマンダーズのトライアウトを受けることにした。
トライアウトでは、ほぼ断トツの結果を残し、受験した投手のなかで唯一のサラマンダーズ入りを果たした。
こうして、芦谷は九大から初めての独立リーガーとなった。

期間は明確に区切って1年限定。
NPB入りに向け、芦谷の新たな挑戦が始まった。

vol.4 につづく

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